ヴェネチア国際映画祭は、世界で最も古い映画祭です。始まりは1932年、市の観光の一環としてビエンナーレ現代美術展の“ヴェネチア映画芸術国際展”としてでした。その二年後の1934年に第2回が開かれ、以降は中止と変更が幾度かありましたが、基本的には毎年開催されています。その中止と変更ですが、言うまでもなく戦争のためです。ヴェネチアの場合は、それが最も不幸な形で影響を及ばしたと言っても間違いではないでしょう。
まず36年の第4回から、ムッソリーニ賞なるものが設立されます。翌年には受賞を巡って、審査員が決定を覆す政治的陰謀が起きています。以降40年から3年間はイタリア=ドイツ映画祭として開かれるものの国際映画祭とは認められず、その後の3年間も戦争のために中止。戦後の46年に再び映画祭が開かれますが、これも国際映画祭とは認められませんでした。しかも悪いことに、この年にはカンヌ国際映画祭が始まっています。それでも以後は、徐々に環境も整備され国際映画祭として広く認知されるようになっていきます。
ところが68年を最後に、一時コンペティション部門が廃止されて、11年間に渡って映画賞の選出が行われなくなりました。この時期は映画祭自体も開催を巡って様々な混乱が生じています。80年になって、ようやくコンペティション部門が復活し、翌81年には混乱していた開催回数も「38回」と正式に定められて、以降は体制も整い徐々に活況を取り戻していきました。
世界には映画祭と呼べるものが400とも500とも言われていますが、中でも歴史と伝統において他の追随を許さないのが、カンヌ、ベルリン、そしてこのヴェネチアの世界三大映画祭で国際映画祭として高い評価を得ています。特にヴェネチア国際映画祭の歴史は古く、第1回が開催されたのは1932年(昭和7年)でした(カンヌは1946年、ベルリンは1951年から)。審査員に多くの監督を加えているのも特色の一つでもあります。
ヴェネチアはイタリアの北東部に位置する港町ですが、映画祭は、そのヴェネチアを「観光都市に」との名目で始められたものでした。実際に映画祭の会場となるのは、ヴェネチアから船で15分ほど、アドリア海に浮かぶリド島です。ここで毎年8月下旬から9月初旬にかけて1〜2週間程開催されます。
リド島はあの「ベニスに死す」で有名な、オテル・デ・バンがあり、現在では、他にも豪華なホテル、別荘などが立ち並ぶ歓楽地となっています。メイン会場は「パラッツィオ・デル・チネマ」。各国から、コンペティション部門に出品してきた作品がヨーロッパを中心に,午前8時半くらいから,真夜中まで連日上映され、他にも招待作などを含めると100本近い作品が、開催中に上映されることになります。審査の対象となるのは、コンペティション部門の作品で、その中から、金獅子賞(最優秀作品賞)、銀獅子賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞などがそれぞれ選出されます。
過去、日本映画はヴェネチア国際映画祭と深い関係にありました。特に、戦後間もない1951年、荒廃した日本、そして未だ復興途上の日本映画界において、その中から唯一ヴェネチアに出品された、黒澤明監督作品「羅生門」が、見事グランプリを獲得したことは特筆すべきことでした。以降、国際映画祭における日本映画の進出が始まり、またその実績も素晴らしく、栄光の50年代と呼ばれることになります。ただし、ヴェネチア映画祭ではそれ以前の1938年(昭和13年)、既に坂具隆監督作品「五人の斥候兵」が大衆文化大臣賞を受賞しています。
ヴェネチア国際映画祭主要部門(金獅子賞/グランプリ・男優賞・女優賞等)の受賞一覧です。